kobayasi kei
右膝大腿骨剥離骨折。右膝半月板損傷。…のケガによって自分の選択肢は、大きく変化した。
スポーツを続けるという選択肢は、この時消えた。
失ってしまったことに対し、未練がましいのは性に合わない。一年間のリハビリの後、大学へ復学して、まわりに転がる選択肢を探し始めた。
教員免許をリハビリの為休んでいたところを、もう一度取り直そうと思い、国語・書道の免許を取り始めた。これが「小賢人」の、岡崎賢治と藤川直人との出会いである。
教員免許を取得するには、書写の講義が必修であった。この時二人を見かけた。非常に楽しんでいた。
今を楽しむということを、忘れかけていた。
ゼロからの出発だった。書道は芸術ではないと、生まれてこのかたそう信じていた。それは美術を好んでしていたからかもしれない。
書道なんてしたことない。つまらない。
これを覆してくれたのは、この二人と、それを取り巻く多くの仲間達であった。皆楽しむことを第一とし、印象を拭い消すには難しい人ばかりであった。
美の巨匠たちが残していった絵には、大きな作品が数多く残されている。
ボッティチュルリ「ビーナスの誕生」、レンブラントの「夜警」、ガウディの「サグラダファミリア」…
これらの素晴らしい芸術を、この先も数多くの人が観て、語り継がれるであろう。
これを書道で活かしたい。
これが「小賢人展」に参加した理由である。
美術には基礎を身に付ける為に、デッサンがあるが、書道には臨書というものがあった。
ピカソがベラスクスの「ラス・メニーナス」という「空気遠近法」を用いた絵に影響を受け、独自の印象を描き出した「ラス・メニーナス」を五八連作で残した。
即ち、美術における臨書の第一であると、考えている。
書道は自ら捨てない限り、失うことはない。
貰うことも自由、捨てるのも自由、全て自分次第である。
心に残るスポーツ選手というのもいいだろう、しかし、いつかは死んでしまう。
芸術家は死んでしまっても、名作は人々の記憶と共に後世に残る。
ゴッホの「タンギー爺さん」、ウオホールの「モンロー」でも、名作は残る。
人々の心に残り、後世まで残る作品、それが「小賢人展」の第一回目に続いた、今回、二〇〇二年九月二十五日の「小賢人展」である。
小賢人展 Step_2
sho-kenjinten