okazaki kenji





【その一】
    墨の味知ってますか

「墨の味知ってますか?」
「いえ、いただいたこと御座いません。」
「墨の味??」
などと、この一文に対する反応はさまざまで、案内状を渡す度に、少しばかり楽しませていただきました。この一文に決まるまで、実に多くの言葉達が淘汰されてきた。私としては、「墨の味」というこの言葉に、それ程の深い意味を込めたつもりはないが、今更ながら愛用の『広辞苑』をめくってみると。
@飲食物が舌の味覚神経に触れた時におこる感覚。
A体験によって知った感じ。「貧乏の味を知る」
Bかみしめて知るような物事のおもむき。
この場合は、B乃至Aの意味であろう。
言葉と言うものは、面白いもので、たった十二文字でも、目にした人には、いろいろと思いをめぐらせて頂いたのかもしれない。
書は文字を書く所からスタートする。文字は当然言葉である。
芸術とはつくり手の心を表現するものであり。一つの人格の表現を別の人格がまねることは出来ても、本質的に同じ芸術とはなり得ないものだと思っている。

心は何によって出来上がるか。
人が生活し、日々体験する喜怒哀楽により一人一人の心はつくりあげられる。書の作品を作るということは、日々の生活のなかで、その心が感じたものを "言葉"という形をつかい表現することである。
この場合の言葉は一人の人間の心を他人に読んでもらうための人の内面的な道具である。
一方、書作品を形づくるための道具が必要だ。書作品をつくるためのいくつかの道具は、その違いによって、出来上がる作品に実に豊かな表情を持たせることが出来る。墨色で言えば、磨る時の気温、湿度などの条件だけでも驚くほど、墨の延びが良くなったり、滲み具合が変化したりする。文房四宝と呼ばれる筆墨硯紙は、最低限なくてはならない四つの道具である。その他にも、墨をする水や紙の下に敷く毛氈や、文鎮、表具、そして最終的には、観る者が作品に出会う場所などにより、その作品は変化する。
作品をつくる時には、沢山の物質的条件を選択し、自分の目指す作品がつくれるよう準備することが大切である。しかし、これらに拘り過ぎることは、往々にして自分が何かに出会い、感じた心を壊してしまうことになりかねない。ささやかな物事に動かされた心は、とてももろい。反対に大きな感動は、時間が経っても新鮮な感覚を失わずにいられるものだ、そんな出来事を作品にした時より、ささやかな心の動きを題材にした時の方が惹きつけられる作品になるような気がする。何故だろうか。
筆に墨を含ませ、紙に運ぶ瞬間。それまで準備してきた物質的な要素のことは何も考えず、一つの作品をつくるのみ、その動きすべてが自らの心で動くことが出来たなら。作品の前に立つ人も何かを感じてもらえるのだろう。

【その二】
    日本人の感性

茶の湯。
世界的にも注目される、日本文化が誇るべき茶の湯を、私達の民族は受け継いでいます。茶を飲むという動作を、体系的文化として確立している文明は、幾つかあるようだが、どれも近世以降飛躍的に発展している文明に多いようです。けれども、これ程までに人の内面を豊かに映しだすものはない様に思います。
茶の湯は、端を中国の宋時代に生まれた喫茶法に発しています。宋時代中国は、浙江省などで美しい釉色で目の覚めるような青磁が焼かれ、福建省では均整のとれた、天目の器などが盛んに焼かれ、沢山の陶磁器が日本にも舶来しました。茶の湯黎明期の室町時代には、これら中国産の誰の眼にも美しいと映る陶磁器が珍重されました。
ところが、ご存じ千利休が、日本の茶の湯の根幹とも言える"侘び・寂び"という感覚を生み出すことになりました。そして、ゆがんだ器や、傷をあからさまに補修した器に美を見いだす感覚が、根付くことになったのでしょう。
学生時代、中国からの留学生の方と、現代書を切り拓いた一人、井上有一という人物について、ディスカッションしたことがある。井上有一という作家は、所謂アバンギャルドの作家で、小字数で無骨な作品が多い印象です。中国人の彼は、漢字一文字を作品にするという感覚が理解出来ないと言い、また、漢字をデフォルメすることに美しさを感じられないと、激しく主張していました。今思うに、これはやはり民族性の問題だなと思います。
千利休以降、茶の湯に使われる道具の、特に焼きものー陶磁器にはデフォルメされた物というか、意図的にゆがんだ物ではなく、結果的にゆがんだ物にモノノアワレを感じて、それらを掃き清められたような、茶室という小さな舞台で賞玩するという、特異な文化になっていく。楽の茶碗然り、高麗井戸、備前、伊賀花生け、志野や、織部沓茶碗など桃山の茶陶が花開くに至るわけです。
私達日本人が、手で作り上げられたこの上なく整ったものよりも、ゆがみのある物にモノノアワレを感じて、惹かれるのは民族性、即ちこの日本列島の風土に生きてきた者ゆえなのでしょう。


小賢人展 Step_2
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