fujikawa naoto





    自分自身(25) -芸術において-
     
書道で基盤となるのは「構築」だと考えている。文房四宝(紙、筆、墨、硯)を用いて書く行為により、平面(何も書いていない状態)を立体へと構築していく。
縦×横の平面を縦×横×高さの立体へと構築する設計図には「線」「空間」「画面構成」があり、「線」は支柱、「画面構成」は中心に重点をおき、個々が意味を持つ。さらに「線をいかすのは空間であり、空間をいかすのは線である。そして全てを統合した「画面構成」と相互関係が生まれる。個々から全体へ、全体は個々からと考える。
中でも私は「空間」にこだわりを持ちたい。電車に乗り、外の景色を眺めていると家の建て売りがよく目に映る。そこにはテーマのように「空間」と幕に示されている。これは部屋の空間、間取りが広いということを指しているのだろう。芸術において「空間」は立体へと導く意図とした白である。
かつて書道で白は(墨で書かれていない部分)「余白」とも呼ばれていた。しかし今では全くと言ってよいほど耳にすることはない。「余白」は読んでわかるように「余った白」、これは「必要としない白」と解釈できるため使われなくなったのであろう。
「線」「空間」「画面構成」の設計図は基盤となるものである。しかしこれだけでは機械的で味気ない。私は人間として感情は大切にしたく、書いたものには躍動感、迫力感などドラマを起こしたい。
初夏、実家に帰り日本海をみつめた。ふと「芸術は自然にどこまで近づけるのか」頭をよぎった。空、海、波、雲、風を観、聴き、感じ、自然は一分一秒がドラマだと感じた。気温、湿度、風向などあらゆる無数の環境条件を含めると常に同じ環境を与えているわけではない。
私の考える芸術は一つの題材を一方だけではなく多角度から、そして無数の考え方、無数の表現ができることではないこと思っている。
毎日同じ文字を書いても一枚一枚異なっていい、異なるものであるべきで、手本があり、そっくりそのまま書くというような機械であってはいけない。
芸術の書道、芸術は一人で勝負するものでありたい。


小賢人展 Step_2
sho-kenjinten